僕の経歴(ヤバすぎ)をご紹介します
お酒に支配された僕の半生(一般就職編)
2006年7月、約4年間勤務した風俗店を辞めて、地元福山市へ帰郷しました。
父・娘・姉と4人での生活が始まりました。
前回の記事はコチラです↓↓↓

さらに堕ちていく人
家族4人での生活
9才になった娘の成長を感じる事が出来たのは、とても嬉しかったです。
9才になっても時計が読めなかった娘・・・
算数の宿題を、計算機でスラスラ解いているのを見て大笑いしたこと・・・
ただ娘と一緒に暮らしているだけで、仕事は定着できず、父は相変わらずお金に汚く、【父と娘】【姉】【僕】こんな家庭内別居のような状態でした。
姉は、まだ統合失調症の診断が下りる前だったのですが、明らかに様子がおかしく、姉の部屋からしてくる大きな物音(何かを壁に投げつける音)に恐怖を感じていました。

この時家族と必死に向き合うべきでした😥
ある日姉の攻撃の矛先が僕に向けられ、取っ組み合いのケンカになり、父からは『ワシの事が気に入らないなら出ていけ』と言われました。
その翌日に必要な物だけを持ち、家を出ました。
娘の顔も見ずに・・・
次に娘と再会するのは、10年以上先になります。
娘との再会時のエピソードです↓↓↓

酒・酒・仕事・酒・酒
酒・酒・仕事・酒・酒
福山市へ帰郷
①デリバリーヘルスの送迎
④風俗店
猫とニート
⑥新聞配達員
⑦キャバクラ店員
2015年2月
退職

約10年間、各地を転々としながら、
投げやりな生活を送っていました。
嫌な事があるとすぐに酒浸りになり、家に引きこもる様になっていきました。
何回も自殺を考えました。
2回目の結婚をし、ようやく夜の仕事を辞める決心をしました。
けんしろ★、流れ流れていつの間にか39才。
この職歴だと一般企業への再就職は難しい。でも新しい家族のために頑張らなくては・・・
でもお酒を止めようとは思いませんでした。
職務経歴⑥ ゴミ収集車のお仕事
キツイけど結構楽しいお仕事です!
久しぶりにハローワークへ通い、何社か面接に行きました。
採用して下さったのはゴミ収集のお仕事でした!

月に一度日曜出勤があるのは、居酒屋さんやデパートとの
契約の関係です。
僕が勤務していた会社は、市区町村のゴミ収集車ではなく、民間の企業です😀
ゴミの収集日は、お得意様との契約で毎日とか何曜日とか決められていました。
市区町村のゴミ収集車は2~3人組で収集作業をしていると思いますが、僕たちの会社は1人で担当エリアを2tか4tのパッカー車で回っていました。

デパートやレンタルショップは宝の山でした😎
よくゴミに紛れてお金が・・・って聞きますが、僕は発見出来ませんでした。

その場で分別していなかった先輩は、
ライターかガスボンベを巻き込み、火事になりました。
パッカー車が火事になったら大変です。1t以上のゴミを道路に降ろして消火作業です。
あと印象に残っているNGなゴミは、動物の死体と人間のお位牌です。
さすがにビックリしました😥
もっと稼ぎたい!
再婚し子供も産まれて、生活を見直さなければなりませんでした。
ずっと滞納し、放置していた税金等から逃げられなくなりました。
「新聞配達があるじゃん!」
ゴミ収集の仕事は午前4:30位からだったので、配達が終わって勤務する事ができました😀
少しずつ請求書を支払っていき、税金も分割払いの相談をしたり対策を考えて、生活に明るい兆しが見え始めました。
新しいテレビを買ったり、インターネット回線を契約したり、ようやく人並みの生活が出来るようになっていきました。

ゴミ収集と新聞配達の掛け持ちを
1年以上続けました。
やっぱりお酒・・・そして鬱
新聞配達の仕事は、休みが1ヶ月に1回の新聞休刊日しかなく、ゴミ収集車の休日の日曜日も午前1時30分に起きる必要がありました。
ゴミ収集車の仕事も続けていくうちに、先輩社員からお客さんを押し付けられるようになって、不満が溜まっていきました。

先輩は早く帰ってるのに、
僕たち下っ端は増やされるばかり・・・
そんな不満やストレスの量と比例するように、お酒の量も増えていきました。
再婚した妻も19才年下で、まだまだ世間知らずな所もあり、僕を苛立たせました。
最初は酔って物に当たっていました。
でもそれは暴力へ変わっていきました。
僕は外ではニコニコ・ペコペコ、人当たりの良い人です。
どんな仕事でも一生懸命やってきました。
そして不満を溜め込み、いつもお酒に逃げて発散し、身近な人に迷惑をかけるのです。
酔いが醒めると、後悔し自分を責め、何も出来なくなり、またお酒を飲むのです。
そして・・・プツンと糸が切れるのです。
自分で言ってすみません。
お酒さえ飲まなければ、真面目で良い人なのです。
ただ、お酒に酔う事でしかストレスを紛らわす方法を知らなかったんです。
この時初めてアルコール依存症と診断されました。
それでもこの診断名は、仕事へ行けなくなった言い訳でしかなく、全くお酒を止める気はありませんでした。
またしても仕事を失ってしまいました。