僕の経歴(ヤバすぎ)をご紹介します
お酒に支配された僕の半生:放浪編
父との話し合いの結果、僕はひとりで家を出る事にしました。
父に金銭的にも精神的にも、支配される事に耐えられませんでした😥
詳しい経緯はコチラの記事をご覧ください。

娘を連れて家出をした時に売却した車代の残金が僕の全財産でした。
職務経歴③ 工場勤務
はじめての工場勤務
【けんしろ★放浪時代】
派遣社員として工場勤務
母のもとで数日間居候
手元に数万円しか持っていない僕は、寮付きで給料も良い、工場の派遣社員になりました。
僕の計画ではここで働きながら、なるべく早く貯金をすること。
そして、実家近くへアパートを借りて、娘の近くでもう一度正社員として仕事を見つけることでした。
- 事業所名:D日本印刷(株)三原工場(当時)
- 仕事内容:最終的に液晶画面になる材料を、各電機メーカーの規格に合わせ、裁断機で裁断する。
- 勤務形態:4勤2休※
- 給与:総支給額 約270,000円(残業手当込み) 賞与 有
- 勤務時間:日勤 8:00~20:00 夜勤 20:00~翌8:00(共に残業を含む)
- 寮費:賃貸物件により異なる(僕の寮は約4万円位だったと記憶しています。)
※4勤2休とは?
日勤・日勤・夜勤・夜勤・休み・休みの流れが続きます。
曜日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
A班 | 8:00~20:00 | 8:00~20:00 | 20:00~8:00 | 20:00~8:00 | 休 | 休 |
B班 | 20:00~8:00 | 20:00~8:00 | 休 | 休 | 8:00~20:00 | 8:00~20:00 |
C班 | 休 | 休 | 8:00~20:00 | 8:00~20:00 | 20:00~8:00 | 20:00~8:00 |

日勤と夜勤の間に24時間の調整時間があります。
(例)A班の火曜日と水曜日の間
3つの班で24時間稼働します。
曜日関係なく、4日仕事・2日休みのサイクルが続きます。
車が無いので通勤はJRと徒歩で30分位かかりました。
工場内は空調も効いていて重たい荷物もなく、作業も覚えてしまえば簡単でした😀
- 裁断機に液晶画面(32インチとか40インチ等テレビのサイズ)の材料を置く
- 決められた目盛の位置に材料を微調整して置く👈ココをミスると不良製品になる
- 裁断機のスイッチオン!(レーザーで材料が切断される)
- エアーをシューシュー吹きかけ、裁断時のゴミをとばす。
- 裁断機から液晶面に触れないように持ち上げ、台車に乗せる。👈液晶面を汚すと不良製品になる
食事休憩以外にも、10時・3時・6時頃にそれぞれ30分休憩があって、労働環境も良好でした😀
けんしろ★改造計画
人間関係もとても良かったです😄

けんしろ★さん、モテないっしょ😁
見た目をもっとキレイしなよ!

お願いします!
センパイ‼
最初は怖かった先輩社員たちも、たくさん声をかけてくれて、けんしろ★改造計画が始まりました。
眉毛の整え方やブリーチの仕方、床屋さんを卒業して美容院デビュー・流行の洋服を格安で譲ってもくれました。

古いけど、走り屋さん仕様のスポーツカーも格安で手に入れました。
ちょっぴり自信がつきました🤣
夜、ひとりでオシャレなBarへ出かけてカクテルを飲んだりしてました🤣
ですけど僕にとって、この職場には大きな問題がありました。
はじめて精神病院へ
僕にとっての大きな問題とは、4勤2休という勤務形態です。
日勤と夜勤が2日ずつ交互にあるので、寝る時間を自分で調整して対応しなければなりません。
この時期の僕は、仕事が終わってすぐに美味しいビールとおつまみ。
帰りのJRは缶ビールを飲みながら・・・。
酔っぱらって気持ちよくなるまで飲んで寝るか、酔い潰れていつの間にか寝てた、という感じでした。
日勤と夜勤の起床時間を調整するために、夜勤前は午前中から飲んで無理矢理寝ようと試みました。
最初は寝不足でも頑張って出勤しました。
ですが、だんだん飲んでいる時間が長くなり、仕事を休む日が増えて、最後は飲んでは寝る、起きては飲むの繰り返しになってしまいました。

ある日同僚に相談しました。
アルコール依存症かまたは違う精神疾患ではないか?
いやいや、ただサボり癖がついただけだよ。
自問自答を繰り返し、精神病院に行くことを決意しました。
退職へ
少し前母と話した時、こんなやり取りがありました。

あんたと三原市の精神病院へ
行ったこと、覚えてるわ。

えっ???
僕には母が付き添ってくれた記憶が全くありません。
精神病院を受診し、血液検査をした記憶はあるのですが・・・。
受診の結果は異状なし(肝機能も正常・アルコール依存症でもない)でした。
薬を何種類か処方された事を覚えています。
今思い起こせば、おそらく睡眠薬とレグデクト(飲酒欲求を抑える薬)だったのではないかと思います。
貯金もできていない状態でしたが、4勤2休の仕事は僕には厳しいと判断し、工場を退職しました。
この時僕は27才。
今考えると、ここが大きな人生の分岐点でした。
アルコール依存症を疑い、受診まで出来たのに・・・。
この時点で断酒が出来ていれば、大きく人生が変わっていたはずです。
ただ、2000年当時のアルコール依存症に対する考え方や精神医療の状況が、今とは違っていたのかもしれません。
職務経歴④ 風俗店店員
母からも勘当
【けんしろ★放浪時代②】
風俗店店員として働く
同系列の風俗店へ人事異動
今さら父と娘の所へは帰られず、しばらく母の住むアパートで静養させて貰うことになりました。
当時母には同居中の知らない男性がいて、居心地が悪かったことを覚えています。
「アパートを借りる初期費用はお母さん達が貸してあげる。それまではここに居て良いから、新しい仕事を探しなさい。」
母はそう言ってくれました。

ところが・・・
数日後、外出先から母のアパートへ帰宅すると、母が物凄く怒り狂っていました。
「ケン‼こっちに来い!」
母は一冊の預金通帳を放り投げました。
その通帳は、タイヤのルートセールス時代にカードローンの返済用に作った秘密の口座でした。
自己破産していますので、返す必要のなくなった物です。
「そ、それは・・・。」
「うるさい! 今すぐ出ていけ!」
突然の出来事で啞然としました。
父の借金で相当苦労した母は、借金という行為にとても敏感になっていたのかもしれません。
話し合いどころか、玄関先で塩を撒かれ、追い出されてしまいました。
ですが、借金をしたのは確かです。それを理由に出ていけと言われるのなら、仕方ないと思いました。
車内にて
少しの荷物と少しのお金しか入ってない財布。
古いスポーツカーに乗って、行く当ても無く走りました。
母のところでは出来るだけ我慢していたビールをたくさん飲みました。
田舎の、あまり車の通らない県道に、2,3台駐車できるパーキングを見つけました。
夜は外灯も少なく、真っ暗になりました。携帯電話の電池も無くなりました。
最後の缶ビールを開けました。
「これだけで死ねたらいいな・・・」
精神病院で処方された薬の残りが、全部で10錠か15錠か残っていました。
これだけの量で死ねない事はわかっていました。
僕は声を出して泣きながら、缶ビールの残りと薬を全部飲み干しました。
皮肉にも翌日まで、ぐっすり眠っていました。
なぜか運転席の扉が全開になっていました。
岡山県岡山市へ
「住み込みですぐに働ける仕事・・・。」
大きな街を目指す事にしました。
広島県福山市から大きな街を目指すとなると、広島市へは西へ約100㎞、岡山市へは東へ約60㎞です。
県道を東向きに、国道を目指して走りました。
途中、野菜の無人販売を見つけました。
並べられている野菜と一緒に、緑色のカエルの貯金箱が置いてありました。
数百円入っていました。
僕はお金を抜き取り、カエルは元の場所へ戻しました。
1時間半くらいで岡山市の中心部へ着きました。
福岡に行った時のように、無料の求人情報誌を何冊か手に入れ、住み込みができる仕事を探しました。
【Club 〇〇〇】男子スタッフ募集!寮完備・日払いOK!
何時間も悩んで悩んで公衆電話から電話しました。
- 事業所名:S観光(株)
- 仕事内容:店内の掃除・営業準備・ボーイ業務・キャスト(女の子)の送迎・後片付け等
- 給与:総支給額 約250,000円 賞与なし
- 待遇:寮完備・日払い1日2000円OK・食事付き・手当多数(大入り手当等)
- 寮費:アパートによる(僕は35,000円)
- 休日:日曜日
- 勤務時間:14:30~翌3:30(平均)
- 特記事項:1ヵ月に1回の査定があり、評価によって昇給する(年功序列なし)
- 社会保険なし
本当にドキドキしながら電話しました。
岡山駅まで迎えに来て下さった方は、クラウンにパンチパーマのオジサンでした。

事務所で話そうか。

じ・・事務所?😱
話すと、とても優しい方でした。
食堂でご飯も頂きました。
その場で採用され、翌日から勤務する事になりました。
とりあえず住む場所と仕事は確保出来ました。
思っていた事と違ったのは、キャバクラ的な飲み屋さんではなく、性的サービスをするお店だったという事です。
その店は岡山市でトップの売り上げを出している繫盛店で、系列店もたくさんありました。
何カ月か後には、香川県高松市にある系列店へ異動になります。
次回はこういったお店の裏話などをお話しします🤐 ↓ ↓ ↓
