僕の経歴(ヤバすぎ)をご紹介します
お酒に支配された僕の半生
けんしろ★誕生~大学進学まで

タイムラインを追いながら、飲酒歴との関係と合わせてご説明しますね😀
【けんしろ★誕生~大学まで】
家族構成:父・母・7才上の姉
一戸建てからアパートへ引っ越す
父からお金が無いので大学進学を諦めるように言われる
母が夜のお店で働くようになる
友人宅やカラオケボックスで飲酒・喫煙をするようになる
新聞奨学生制度を利用し大学へ入学
飲酒が日常化する
職務経歴① 大学の新聞奨学生
父に大学進学を諦めるように言われましたが、僕は進学を選びました。

高校はそれなりの進学校でした。
何かを学びたい!というより、友達は進学するのに
なんで僕だけ就職なの?って気持ちが強かったです。
新聞奨学生とは?
新聞社が大学の入学金・授業料を貸してくれます。
奨学生は各新聞販売店に配属され、販売店の仕事をしながら新聞社に返済していきます。
親から金銭的な援助を受けることなく進学出来ました。
- 仕事内容:新聞配達・翌日のチラシ折込作業・集金
- 休日:新聞休刊日だけ
- 就業時間:2:30~6:00・15:30~折込作業・集金が終わるまで(平均19:00頃)
- 給与:新聞社への返済、寮費・光熱費・食事代など差し引かれて手取り約50,000円
住まいは、店主が用意した一軒家に他の奨学生や住み込みで働くオジサン達と共同生活をしていました。
朝・晩の食事も店主の奥さんが手作りで提供してくれました。
新聞の仕事と大学との両立は相当きつかったです。
午前2時に起床し、朝刊の配達、そのまま登校、下校して夕刊の配達・チラシの折込作業や集金。
完全に睡眠不足でした。
しかも大学までは電車で30分位かかりました😥

今でもこの制度あるのかな?
立派に卒業された方もいらっしゃったみたいです。
僕の周りはみんな辞めていきました😓
そんな中、他の学生たちの楽しそうな姿に強烈な劣等感を抱くと共に、自分の境遇を恨みました。
世間はバブルの時代です。
その当時に新聞の仕事をしているオジサン達は、何かしらの失敗をしてきた、所謂「流れ者」が多く、
「流れ者」が故の苦労・優しさ・温かさを18才のけんしろ★は肌身で感じていました。
「まあ、けんちゃん呑もうや」
オジサンとよく一緒にお酒を飲みました。
大学1年生の時取れた単位は2だけでした。
卒業は諦めました。
劣等感と悔しさと自暴自棄という言葉と「流れ者」のオジサン達の優しさを学びました。
職務経歴② タイヤのルートセールス
父の洗脳とアルコール依存
大学退学後、すぐに帰郷しました。
「流れ者」のオジサン達とそのまま仕事を続けたかったのですが、家族に猛反対されました。
帰郷してからアルコール依存症・ギャンブル依存症の父に全てを握られてしまいました。

お前にお金の管理は出来ない!
ワシが預かる。

わ・・・
わかったよ。
運転免許を取る為のアルバイト代、就職してからは給料振り込み用の通帳とキャッシュカードを父に渡し、小遣いを貰うという形式にいつの間にかなっていました。
結婚して父と同居を始めてからも、その形式は同じでした。

今考えるとありえない・・・
どうしてそこまで父に洗脳されたのでしょうか?
【タイヤのルートセールス時代】
アルバイト
酒気帯び運転で検挙される
最初の結婚
自己破産
- 事業所名:中国D販売(株) 大手商社Sグループの子会社
- 仕事内容:タイヤ販売店・自動車屋・二輪店・カーディーラー等へタイヤの卸売をする。
自分の担当の顧客を定期的に訪問し、タイヤの展示や販売のサポートをしながら自社タイヤ等の売り上げを上げる。新規飛び込みセールスもあり。 - 給与:総支給額 約170,000円(当時)・賞与 約3ヶ月
- 休日:土・日・祝 ただし土曜日は月に2回は出勤(実際は休日に顧客から呼び出しあり)
- 就業時間:9:00~17:30(実際は8:30~19:30平均)
約8年勤めました。
会社としては僕が勤務した会社の中でイチバン堅実な会社だと思います。
1994年辺りから、どんどん飲酒量が増えていきました。
お金は持っていません。先述の通り父に通帳とキャッシュカードを預けていましたから。
小遣いが無くなると、クレジットカードや当時たくさん普及していた無人契約機でキャッシングを繰り返すようになりました。会社のお得意様に大盤振る舞いをすることもありました。
最初の妻は新興宗教へ入りびたるようになり、子供を連れて教会へ行って帰って来なくなりました。
アルコール依存症とギャンブル依存症の父、自暴自棄で既にアルコール依存症の僕、新興宗教に入りびたる妻、家庭は完全に崩壊していますね😰

最初の妻は、もともと信心深い家庭で育てられていました。
でも守ってあげるのが僕の役目でした。
ごめんなさい。
今悔やんでも遅いですよね・・・。
その後妻とは離婚し、僕は自己破産をしました。
元妻は精神病院へ入退院を繰り返すようになりました。
辞めた理由
この仕事を辞めたきっかけは上司との不仲です。
この上司は気に入らない社員には挨拶さえ返さず、業務を妨害されました。

名前を呼んでも完全無視でした。
その人は電話での受注(取り次ぎ)・伝票の発行や経理だったので、
完全無視では仕事が出来ませんでした。
今でも夢にみます😭

けんしろ★さん!
電話下さいって伝言してたのに
どうして電話くれないの?

すみません。すみません😭
こんな状態です🥶
何か月かそんな状態が続き、まともに業務が出来ない状態をさらに上の上司へ相談しようとしました。
上の上司には見て見ぬふりをされていました。
相談予定日の当日、約束の時間を1時間以上過ぎても現れないので、僕は帰宅しました。
しばらくすると、その上司が自宅までやって来ました。
もう既に僕は酔っぱらっています。話になりませんでした。
相談に乗って頂くどころか「辞めてやる!」と啖呵を切ってしまいました。
翌日は無断欠勤をしました。
The Endです。
驚愕の事実
無断欠勤をした状況を父に話しました。
お金の匂いを嗅ぎつけたんでしょう。
「ワシに任せとけ。」
父は僕にいくつかの指示を出しました。
- 本社の社長宛に直接、これまでの経緯を手紙に書くこと。
- 会社へ出勤すること。(帰れ!と言われるまで頭を下げ続けろ。)
実際すぐに罵声を浴びせられました。 - 父と上司を面会させること
父は何回か直属の上司や本社の部長と会っているようでした。
「お金を請求したけどダメだった。」
父からこう聞かされました。
何年か後に給料の振り込み用の通帳を見るチャンスがありました。
僕が退職後、最後の給料の振り込みとは別に、多額のお金が振り込まれていました。
父から騙されていました。
その後1通の封書が届きました。
僕宛の封書の中身は50万円の請求書でした。

何か急な出費が起こった時の為に
契約だけしておいてくれ。
ワシが預かるから。

思い出した!
あの時作ったカードだ!
まだ幼い子供を連れて僕は家を出ました。
この時僕は26才。
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